資料:日朝修好条規(1876年)と付属文書

署名原本の画像(国立公文書館・アジア歴史資料センター) 修好条規 付録 貿易規則
Wikipediaの解説


特徴

治外法権、自由貿易、関税自主権なし(双方共になかったが、貿易は日本側が圧倒的に主導したので日本側が一方的に受益者となった)
と、3拍子そろった不平等条約でした。


主な条文

条文番号 原文(日本語) 現代語抄訳 意義
修好条規 本体
第一款 朝鮮國ハ自主ノ邦ニシテ日本國ト平等ノ權ヲ保有セリ
嗣後兩國和親ノ實ヲ表セント欲スルニハ彼此互ニ同等ノ禮義ヲ以テ相接待シ…
朝鮮国は自主の国であり、日本国と平等の権利を保有するものである。 冊封体制による中国(清)の影響・介入を排除して朝鮮と外交できるよう意図して、「自主の国」=近代国際法上の独立国であると位置づけた。
第四款 朝鮮國政府ハ第五款ニ載スル所ノ二口ヲ開キ日本人民ノ往來通商スルヲ准聽スヘシ 朝鮮国政府は第5条に挙げる地域の2カ所を開放し、日本人民の往来通商を認めること。 従来の釜山に加え、もう2箇所を開港させる条文。東海岸の元山、漢城(ソウル)近郊の仁川が開港した。
第九款 彼此ノ人民各自己ノ意見ニ任セ貿易セシムヘシ
兩國官吏毫モ之レニ關係スルヿナシ
双方の人民各自の意見に任せて貿易させるべし。両国官吏はいささかも関与しない。 自由貿易を定めた一文。この条文に関連させて、双方無関税とされ(後年、協定関税に移行)、朝鮮側の関税自主権が封じられた。
第十款 日本國人民朝鮮國指定ノ各口ニ在留中
若シ罪科ヲ犯シ朝鮮國人民ニ交渉スル事件ハ總テ日本國官員ノ審斷ニ歸スヘシ…(中略)…
雙方トモ各其國律ニ拠リ裁判シ
日本国民が朝鮮国指定の各開港場に在留中犯罪を犯し、朝鮮国民に累を及ぼした事件はすべて日本国係官が日本の法律で裁判する。 いわゆる治外法権。朝鮮国内の日本人に対しては朝鮮の法律も裁判権も及ばない。
修好条規付録
第七款 日本國人民日本國ノ諸貨幣ヲ以テ朝鮮國人民ノ所有物ト交換シ得ヘシ
又朝鮮國人民ハ交換シ買得タル日本國ノ諸貨幣ヲ以テ日本國ノ諸貨物ヲ買入ルゝ爲メ朝鮮國指定ノ諸港ニテハ人民相互ニ通用スルヲ得ヘシ
日本國人民ハ朝鮮國銅貨幣ヲ使用運輸スルヲ得ヘシ
日本国民は日本貨幣を用いて朝鮮国民と売買することができる。
朝鮮国民は売買で得た日本貨幣を日本製品購入のため朝鮮国指定の港で使用することができる。
また日本人は朝鮮銅貨を運輸することができる。
日本通貨の朝鮮内流通を認めている。
これにより、朝鮮の国内通貨・為替管理の自由が効かなくなった。
日本の貨幣事情の影響を朝鮮が直接受ける。
また、朝鮮は自国通貨(銅貨)が流出しても止められない。
日本国人民貿易規則(通商章程)
第六則 嗣後朝鮮國諸港口ニ於テ粮米及雑穀トモ輸出入スルヲ得ヘシ 朝鮮国の港から米・雑穀を輸出入できる。 米の輸出入自由化。これと日本貨幣流通の自由化により、米は際限なく日本に輸出されたり、投機とあいまった価格の乱高下をみることになり、攘夷の火種となった。


締結交渉の風景

『日本の全権・黒田清隆…は一八七六年二月、六隻の軍艦をしたがえて仁川に上陸しました。二月一一日、この日「紀元節」を祝って撃ちはなつ日本軍艦の砲声がとどろきわたるなかで、修好条規の締結交渉がはじめられました。(中略)
 一二日、日本側が条約案を示したときにも、黒田全権は回答を一〇日以内とかぎり、確答がなければ武力を行使するとほのめかしました。翌日には、万一、朝鮮側が条約案を承認しないときは、軍隊を仁川地方に上陸させるとおどかし、条約の早急な締結を迫ったのです。朝鮮政府ではさまざまな議論が出ましたが、結局日本の武力に屈し、二月二七日「修好条規」が調印されました。』
(中塚明「これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史」P73-74)

 砲艦外交とだけ聞いてもイメージがなかなか沸きませんが、このように具体的行為の描写があると具体的感想を持ちやすいかと思います。



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